鬼は滅びたか

上野の桜が風に吹かれて舞いはじめて、行き交う人々の肩やらに花びらがのっていた。

最近めっきり腰が重く、気になるものにもなかなか足が出向かず過ごしてしまう。
すぐに疲れるので、用がすめばすぐに帰りたくなってしまう。
これではいけまいと、久しぶりに美術展に行く。
師走に箱根でラリック美術館に行った以来かもしれない。いえ、近所に長谷川利行を見に行った以来…よく覚えていない。


そうはいっても生の作品に会えば、まるで心の息吹が吹きかえるのだから、やはりどんなものもそこにある本物にはかなわない。

江戸のアヴァンギャルドが集まって、若冲ブームもさることながら、長沢芦雪の素晴らしさもあらためて心に響いた。大作も小作も素晴らしく、待っていたものに出会えた時の感動がある。

その中に、「山姥」の絵があった。愛らしい犬ころの作品とはまるで違う、かなしい老婆の姿だった。
私はこの「山姥」という存在が、深すぎてかなしすぎて、どうにも消化できずに自分の中に生きている。
そして、何かの拍子にこうして出会うと、言葉にできない思いがこみあげる。


昨今の人々においての「山姥」は、ただの山にいる化け物の女。恐ろしい存在でしかない、あるいは金太郎の母ということが伝説上にある。

私たち能や舞に携わる人にとっては少し違う、とても特別な存在なのだ。


能の「山姥」は、自然そのもの、生そのものであり、仏教的、哲学的な存在として描かれている。
そこから移された地唄舞も、同じ意味合いをもつ。
4年前に初めて舞台にかけさせて頂いたが、到底「山姥」という曲を表現するには至らなかった。
悔しいくらい、その時の私からは遥か遠い存在で、重い曲だった。


芦雪の「山姥」は、髪を振り乱し、爪が伸び、かなしい女のなれの果て、そばには金太郎がいる。
怖いというささやきがまわりから聞こえるも、私はただただかなしかった。


このかなしさは言葉で表現することは私には不可能だけれど、以前鈴木大拙の山姥のことを読んだ時、山姥とは愛であるといういう表現に、なるほど救われた。
そしてなにより、歌人の馬場あき子さんの山姥に、鬼女というものへの情愛や悲哀に共鳴した。
友人がくれた馬場さんの「鬼の研究」の本の中には、様々な鬼が描かれている。
百鬼夜行から鬼族、鬼とならざるお得なかった女たち。

私は昔から鬼が好きだった。
好きというより共鳴していた。

特に鬼とならざるお得なかった女たち。
私自身が演じてきた「鉄輪」「葵の上」「山姥」。
さらに能には「道成寺」がある。


言葉を紡ぐ人は言葉で、絵を書く人は絵で、それぞれの鬼女を描いて、そしてその女たちの魂も、語り継がれ鎮められていくのだろう。


先日たまたま、NHKに馬場さんが出演されていた。戦争中のこと、戦後の社会活動のことなど、毅然と語られていた。

そしてちょうど「鬼の研究」についての話もでて、鬼とは何であるか?の質問に、馬場さんは「情念」であると答えてらした。
そして、私は鬼を愛しているのですと。

私はすっかり胸にその言葉が突き刺さった。


この本の終章、鬼は滅びたか―
で結んでいる。

滅んだのかもしれない。
でも、時々深い山の奥に目をやると、目に見えぬ深山の中で、今もなお四季折々に山々を巡りゆく山姥がどこかにいる気がしてならない。
私たち近代人の目から姿を消しただけで、今もどこかで息をひそめてひっそりと、鬼たちが息づいていることを私は信じたい。


そして今日も桜鬼が、この時ばかり見上げる私たち人間を、見下ろしているに違いない。