多田富雄さん

                      
先日、免疫学者である多田富雄さんの命日に、発刊記念イベントがあり行ってきました。
稽古のあと、歩きついでに築地をぶらぶらしながら浜離宮朝日ホールに向かいました。

日頃科学とは無縁な私が、多田先生を知ったのは、どんなきっかけだったのかうろ覚えで、多分石牟礼道子さんか白州正子さんとの本からだと思われ、その後NHKでドキュメントを観て心にとどまっていましたが、間もなく亡くなられてしまいました。今から7年前のことです。


世界的な免疫学者でありながら、多くの詩や随筆を残された稀有なお方であり、またご自身が脳梗塞で倒れてからも、動かぬ身体の一部で、新作能などさらなる創作を続け、最後まで人間とは、生命とはなにかを問い続けたられたお方です。



1部では多田先生の残した詩を、人間国宝の野村四郎先生の謡や語りなどを織りまぜた表現の世界で、松田弘之先生も笛で出演されていました。

2部では科学者の中村桂子さんと知のかたまりの松岡正剛さんの対談で、意味深いお話をたくさん聞くことができました。正直もっと聞いていたかったです。


今から30年くらい前から多田先生が危惧していた科学の世界も、残念ながら99%の動きがそんなの関係ないという真逆の方向に向かっているとのことで、現代どの世界もみな同じなのは、すごいスピードで前進しているようで、そろって破滅に向かっているのではないかと思ってしまうのは、私のよろしくない考えですが、そんな中でも諦めない心根が未来をつくると信じたいです。

多田先生はまた、教育の原点は農にありという考えで、中村桂子先生も10年前から福島の喜多方市で、子供たちの授業の科目に「農業」を入れたそうで、子供たちが生きる力を持ち、本当に素晴らしいそうです。キラキラとお話なさってました。
こういう教育がどんどん広まっていけばいいのになぁと心から思います。
子供にとって大事なことを、大人や社会が奪うことのないようになって欲しいと願います。

 
これからもその思いを残していきたいという多田先生を尊敬される方々の思い、そして今こそ万葉集世阿弥も、日本語の言霊というものの必要性を訴えておられ、日本というもの、日本語の言葉や芸術のもつ力がどれほど人を豊かにするかということを、まざまざと感じました。

余談ですが多田先生と、その壮絶な道を支え続けられた奥さまは、出会った時、自称「詩人」と言っていた多田先生と、そこら辺に散らかった詩をかき集める「詩人の妻」になりたくて、一緒になったそうで、何とも素敵なエピソードです。



いよいよ生命の躍動する季節となりました。
きのう出会ったカワセミも、青とオレンジの愛くるしい姿で鮮やかに飛んでいきました。