森田さん、傘寿

 

おととい、写真家の森田拾史郎さんの傘寿のお祝いと、新たな写真集出版記念パーティーが恵比寿でありました。

祝辞もシメの言葉もなく、ただ飲んで話して楽しく過ごすという、あまり類がないゆるやかな集まりが、いつもながら心地よく思われます。


お集まりの皆さん、ジャンルの垣根を超え、本当に多種多彩な世界でご活躍の方々ばかりで、森田さんの幅広い世界と人としての魅力をいつも感じます。



能管の松田弘之先生、ダンサーの森山開次さん、主役の森田さんが違う方を向いておりますが、ガンジーにも見えるお顔であります。


そう、森田さんは「顔」というものを撮る方です。
とても深い意味で。


数えあげたらきりのない凄い写真の中に、いつだか心をうたれたこのお写真があります。



故 津村紀三子先生の「鸚鵡小町」


津村禮次郎先生のお師匠さまで、女流能楽師の道を切り拓かれた先生です。

女人禁制の世界で、その時代を変えられたお方の人生はいかなるものだったのかと思いをはせます。

私は紀三子先生のお舞台は拝見したこともなく、写真やまわりの方々からのお話をうかがうだけなのですが、このたった一枚に、紀三子先生のすべてが写されているようにさえ感じてしまいます。

(失礼ながら、お写真を写させて頂きました。森田さんはフィルムでしか撮られません。)


能「鸚鵡小町」は、小町物のひとつの難曲で、誰もが舞える曲ではないそうです。

さらに「関寺小町」においては、「檜垣」「姨捨」と三老女物のひとつで、あらゆる曲の中で最も重く、観世流宗家ではここ数年前までの200年あまり、舞われることがなかったそうです。
数限られた方のみが舞うことの許される秘曲で、その重ねた年齢と2時間の間ほぼ動かない舞台に、倒れるシテの方もいらっしゃるそうで、まさに命をかけて臨む曲なのだと思われます。


昨年夏に津村禮次郎先生が「鸚鵡小町」をお勤めになられ、拝見する貴重な機会がありました。
「鸚鵡小町」もまた、100分ほとんど動きがなく、和歌の返歌のやりとりを重点に、大変重い曲でした。


脇席からの拝見だっのですが、じっとうつむいたままの小町の横顔に、長い時間が過ぎてゆく。
百歳の小町の姿。
面と装束に身を包み、その中に己を閉じ込め、そこで何がおきているのだろうと思うと、私なんぞは目がくらむばかりでした。


極限まで己を追い込み身を削り、その心身からこぼれたものを観客が受けとめることを表現だとしたら、能というのは何という芸術なのだろう。

様々なことが頭からわいては消えていくばかりで、正直何を見ていたのかもおぼろげだったのですが、不思議なことに、演能が終わり、橋がかりをゆっくりと揚げ幕へとつたう津村先生のお姿を見たとき、涙がごぼれたのでした。




さて、数々の伝説の舞台をとらえてきた森田拾史郎さんの新しい写真集は、
「翁・三番叟」 「獅子」 「ワキ方」の三冊です。

能と狂言総合誌 花もよより発売です。