菜蟲譜に会えました


11月は慌ただしさも相まって、体調を崩してばかりの日々でしたが、半ば過ぎ、何年も何年も会いたくて会えなかった伊藤若冲の「菜蟲譜」に、ようやく会うことができました。

何を隠そうこの日記の題もここから拝借したもので、この作品がまさかの地元付近に所蔵されており、公開期間には「その期間に帰ろう」とか「帰った時にやっていたら行こう」などと思っているうちに、月日は流れて今日まできてしまいました。

吉澤美術館

今回期間中に会を終えて、大変有難いタイミングでお目にかかれました。
与謝蕪村板谷波山の常設も見られて、小さくていい美術館でした。

そして…


素晴らしかった。。


自分の中の渇望していた何かが満ち満ちとしてゆき、気がつけば一時間以上はその場を行ったりきたり離れられずにいました。
地方美術館ならではの、心ゆくまで堪能できるこの贅沢。



私はかれこれ10年くらい、人をかき分けないと作品が見られない大きな展覧会は引退し、それからは旅先や地方の小さな美術館をまわることに徹していました。

どこへ行っても静かで、混むこともなく、信州などでは自然の中にとけ込んだ所にある場所も多く、本当にゆっくりと作品に向き合うことができます。
何より小品が多いので、大作とはまた趣が違うものに沢山出会えるのが私には有難いのです。

都内であってもすいている方にあえて行くと、思いがけない出会いがあったりします。
以前フェルメール展の大行列を横目に、すいすい入れた北欧の画家、ハンマースホイを見たところ、これがとてもよかった。
暗く、静寂を纏い、後ろ姿の女性と同じような部屋の中ばかりの絵だったのですが、印象的でした。
フェルメールが光の画家なら、ハンマースホイは影の画家だった。


若冲もこの春には異常な社会現象化して、一体どうしたのだろうという騒ぎに見えましたが、京都の細見美術館などにはよく通っていました。こぢんまりといい美術館で、他に大好きな神坂雪佳もあるので、お気に入りの場所です。

京都は美術館でなくともきりなく出会えるのでしょうけど、金地院では長谷川等伯の襖絵を、鶴亀の庭と貸切状態。お猿さんと二人きりで対面もできました。至福の一時です。


話を戻してこの菜蟲譜では、生命のいとなみ、豊かさ、すべてがのびやかにみずみずしく、かつ抑えた色彩で、小さな世界から見た絵巻がいつまでも続いていくようでした。




私が自然を求めた土地に移り住んだ初めての年、季節の折々にみせる植物や虫、鳥や木々のあまりの美しさと面白さに、飽きることなく歩きまわったものでした。

信じられない斬新なデザインのキノコの数々に驚き、鳥の落とした羽の柄に感激し、雪の中のルリビタキに出会い涙し、自ずと存在する自然界の美と不思議に、本当の崇高芸術を見たものでした。


でも、こんな作品に出会えると、人が生みだすものもなんて素晴らしいのだろうと改めて思えました。



またいつか、きみに会いに行きます。