無言館


長いこと行こう思いながらも、機会を逃していた場所に、先月ついに足を運んだ。

信州上田にある戦没画学生たちの絵が集められた、
無言館


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ほとんど勇気を振りしぼって足を踏み入れた。

案の定、もしそこに自分一人だけだったら、きっと嗚咽していただろう。


一人ひとりの確かにそこに息づいていた魂が、筆の奥から飛びこんでくる。
情熱迸る絵、静かでやわらな絵、皆様々で、その人の人柄さえ伺え、将来一流の画家になったかもしれないと思わせる作品もあり、会うはずもない先人であり、今の私よりずっと若い青年たちの尊い命に出会い、美術館を出る頃には入った時とは違う気持ちになっていた。



話は飛んで、宮崎駿監督の数多の名作の中でも、
風立ちぬ」は理屈ぬきに美しく、一番好きな作品でもあり、なぜあれほど胸に残っているのか言葉にはできないけれど、懸命に生きた人たちがいたということに尽きるのではないかと思う。

その時代を経て、今の私たちがある。



コロナ自粛中、妻を亡くしたばかりのある人が、一人ではいられないことを理由に母に頼み込み、毎晩うちで夕飯を食べるようになった。
昼は近所の人が毎日作りに来て、共に食べてくれたようで、更にまわりの人たちが日々かわるがわる訪ねて、心配してくれた様子だった。

それまで生まれてからずっと、挫折一つなく順風満帆。
終戦の年に生まれて、大学時代から外車に乗り、結婚後は二人の生活を楽しむために子供もつくらず、夢のような小さな白い家に住み、世界中を旅し、山に登り、夫婦で遊び尽くしてきた人だった。

70半ばになるまでただの一度も苦悩も苦労もない人を知り、驚いたと同時に、若いうちの苦労は買ってでもしろという昔の人の言葉は本当だと、売るほどしてきた私は心から納得した。


移動規制もあり、実家にとどまっていたので、私もほぼ毎日食事の用意を手伝い、一緒に過ごす時間が多かった。
できるだけかなしみに寄りそい、励ましてきた。
それでも、妻一神教であったその人は、「あと10年楽しみたかった…」と言うばかりだった。


老犬の看病で更に移動時期がのびた私は、他にもやらなくちゃいけないことのある中、まだ現役で仕事をしながらも、年中人や動物の面倒をみている年老いてきた母を心配しながらも、犬の病状が回復してきたのを機に、実家をあとにした。



無言館の館主の窪島誠一郎さんのあいさつの中に
「戦後70年を過ぎ、私たちは繁栄という豊かさに慣れきった生活の中で暮らしています―」とあった。
私は心の底から頷いた。



この無言館を訪ねた10日近く前、やもめのおじさんは、自ら命を絶った。


生きたくても生きられなかった人や時代がついこの間まであったのち、何不自由なく楽しみ尽くしてきた人生を、それが奪われたというだけの理由で、自ら終わらせる人がいることに、生命をはき違えた現代という病を全身で感じた。

あの山の白い家は、甘くてもろい、お菓子の家だった。



生きて、ただ絵が書きたくて、激しい飢餓と死の恐怖の中消えていった、若き画学生たちの無数の無言の言葉。


この対照的な死に、私の心にははっきりと宿るものがあった。
それを胸にしまい、これからも生きてゆく。
生きねばと思う。