栗田美術館での会が無事終わりました。
始まってしまえばあっという間に終わってしまいましたが、お越しくださった方々、お手伝い頂いた方々に感謝申し上げます。
津村先生の山姥、感激の声を聞き、もちろん私は観られませんので、少しお客様が羨ましかったです。
日本でありながら日本文化が消えゆく一方の昨今ですが、何とか、どうにかこの灯が消えないようにと思います。
ありがとうございました。
栗田美術館での会が無事終わりました。
始まってしまえばあっという間に終わってしまいましたが、お越しくださった方々、お手伝い頂いた方々に感謝申し上げます。
津村先生の山姥、感激の声を聞き、もちろん私は観られませんので、少しお客様が羨ましかったです。
日本でありながら日本文化が消えゆく一方の昨今ですが、何とか、どうにかこの灯が消えないようにと思います。
ありがとうございました。
毎日忙しなく過ごしているうちに、会まですっかり押し迫ってしまいました…
ここで今回の演目の上方唄「三国一」の歌詞を短いのでのせてみます。
なんとも軽妙な歌詞で、こちらの曲は普段の舞とは一味違う趣きで、基本扇だけで舞うジャンルなので小道具はほとんど用いないのですが、ほんの少し洒落がきいた仕立てになっています。
滑稽な壬生狂言の「桶取」から移されていてそのまま「桶取」としての曲も他流にはあります。
前半は出家する田舎大尽。
後半、その大尽に捨てられた醜女(しこめおんな)を舞分けます。
初めて見る方にも肩の力を抜いて見てもらえる一曲です。
歌詞の画は前回、2011年の一番最初の栗田美術館での会の時のもので、それ以降一度も舞っておりません。
当時は録音の演奏でしたが、今回は唄と三絃も味わえます。
富筋では男性は唄わないそうで、今回菊森美穂さんに唄って頂けます。
是非会場でお楽しみ下さいませ。
お彼岸が過ぎ、中秋が過ぎても続いた残暑もようやくおさまり、秋の気配も漂ってまいりました。
来月には三年ぶりに地元足利での会を開かせていただきます。
その前にもイベント等の予定などありますので、追ってお知らせさせていただきます。
まずは紅葉を迎える頃の、栗田美術館での小さな会のお知らせです。
8回目となります今回は、いつも懇意にさせていただいております能楽師、津村禮次郎先生のご参加もあり、仕舞と地唄舞でそれぞれ「山姥」を舞わせていただきます。
上方唄の「三国一」はおかしみのある、いつもとひと味違う舞となり、12年ぶりです。
菊森美穂さんの唄と三絃でお楽しみ下さい。
地唄舞を楽しむ会
令和5年11月23日(木・祝)
午後3時開演(2時30分開場)
於 栗田美術館(山荘)
入場料 6000円/29才以下3000円
お申込 0284-41-2776
※当日美術館を500円にてご覧いただけます
立夏も過ぎ、異常な暑さもない5月らしい日となり安堵しました。
コロナ禍では遠のいていましたが、昨年末からは月に1、2回くらいお能の会などに出かけられるようになりました。
端午の節句の日には、国立能楽堂で初めて「芭蕉」という演目を加藤眞悟師のシテで拝見しました。
草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)
を主題にし、自然と人はみな一体であり、それぞれにある本性を生きている_
という思想を、静かに静かにひたすら静かに…
極論を言えば、2時間以上何もおこらない、こちら側が何も見なければ、何も見えない能らしい能でした。
先日Eテレで放送された黒澤明未完の「能の美」の中で黒澤監督は、
美というものは
説明することは出来ません
自分の心で感じとる他はありません
能の美もまた同じです
と記述していました。
昨今の私たちに於いて、何時間も何も与えてくれないものをただジッと受け止めるには、それなりの忍耐も必要なものですし、演じる側も舞台上が芸の場であり過酷な忍耐の場でもあるので、仏教的な要素を様々な方面から感じられます。
この日のお笛は松田弘之先生でしたが、ご一緒させて頂いている時はその激しさがわからないのですが、2時間以上板座に正座し、笛の音の響く度に身を削られているお姿に、笛一本で修行僧とアスリートを併せもつ過酷さ、それでいて憂いのおびた魂の響きを感じました。
さて、この日の会は主宰の加藤さんをはじめ、狂言では野村太一郎さん、地謡に中村裕先生、政裕さんなど、たまたまそれぞれにお世話になり、共演させて頂いた方々が多く出られていたので、一観客としては別の楽しみ方もできました。
風薫る美しい季節、自然の中に真理があるという古来の日本人の心に思いを寄せながら、一方で能登地方の地震で大変な思いをされている方々にお見舞い申し上げます。
自然は本覚、人間は始覚、とどこかで聞いたことがあります。
お能や舞のもつ美しさも苦悩も、自然とは切り離せないことを感じながら、今日も新緑を眺めております。
意外に思われるのですが、若い頃私は野球少女だった。
ある程度年齢を重ねてから出会った友人知人には、野球に限らずスポーツ全般に興味が全くないように思われており、私としてはそれこそ意外なのですが、ついこの前のサッカーワールドカップも、日本戦はもちろん、決勝も気になってしまい、結局寝床からでて見てしまった。
野球を好きになったきっかけは高校野球で、その延長でプロ野球も見るようになった。
当時中学生だった私は、ヤクルトにテスト入団し、メニエール病を患いながら29歳で引退した栗山英樹さんのファンでもあり、試合も見に行った。子供の割には渋い選球眼でした。
大学進学で都内暮らしになってからは、関東の様々な野球場で観戦し、球場でアルバイトをしたこともあった。
そうしているうちに近鉄にいた野茂英雄さんが大リーグに行き活躍し、今やメジャー行きはトップ選手たちの必然となる時代となった。
私の人生も波乱に巻かれ、おそらく20代を最後に球場に足を運ぶことはなくなり、いつかどうか自然や静寂の方を求めるようになるうちに、すっかり遠のいてしまっていた。
今朝のWBC準決勝は本当に素晴らしかったです。
本当に久しぶりに、野球のおもしろさを思いださせてくれた、最高の試合でした。
一日興奮が冷めず、若い頃に夢みたあの感覚が蘇り、劇的な逆転サヨナラに狂喜乱舞した。(猫達が蜘蛛の子散らすように逃げて行った)
野球は9回からとはよく言うものの、あの展開の中ここまでのドラマをみせてもらえるとは、選手の皆さまには敬服しかありません。
大谷選手の凄さは言わずもがな、高校卒業後の進路を大リーグとしていた彼を唯一ドラフト指名し、また、二刀流の道に導いていった名伯楽の栗山監督にも、現役時代の苦労が別の形で報われているようで胸をうたれます。
ダルビッシュ選手を筆頭に多くの一流選手が日本代表として一つになっているのも、監督の持つ人間性も大きな原動力なのでしょう。
あのイチロー選手でさえ、2009年のWBCでは見るのも辛いほど不振が続き、決勝の最後の最後で決勝打を打つというドラマがあった。
今日も大事な場面でも3三振とあたっていなかった村上選手の最後の姿に、あの時を思いだした。
どの選手の方も本当に素晴らしかったです。
人生常に9回裏の崖っぷちでも、諦めなければ続きがあることを、その姿から教えてもらいました。
明日の決勝も、全力で応援したいと思います。
本日より暦の上では春、新年卯の年となりました。
家では毎年豆まきをし、けんちんにイワシをいただくのが恒例ですが、昨夜は近くの伊勢神社でも豆まきをし、その後鎧年越し(750年ほど前に坂東武者を鑁阿寺に勢揃いさせたことが始まりと言われていて、明治維新で一度途絶えたものを大正時代に復活させ、現在に至る年越し行事)を何年ぶりかに見に行き、鑁阿寺でも豆まきに参加するという、邪気を十分に祓い尽くした節分となりました。
すべて近所での行事でしたが、先週放送されたNHKのブラタモリが故郷足利で、知らないことや発見が盛りだくさんで、普段近すぎて当たり前すぎて気にもとめなかったことが、実はすごい歴史がたくさん詰まっていた事に改めて気づかされ、反省も含めて育った街の豊かさに感謝しました。
歴史を知ること、土地を知ること、先人への想いが歳とともにつよくなり、以前に増して時代とかけ離れていく自分を、あるがままにしておくのも悪くない年齢にもなったので、この節分から立春はとても清々しい気持ちで迎えられました。
最初の写真は、江戸寛文の初期伊万里。
当時7歳の卯年の私に、母が一目惚れして手に入れた骨董です。
それから何十年…幾度目かの年女を迎えました。福多き年になりますように。