夏の終わり

    

夏も終わります。
最後は夏風邪のフルコースで、床につきながらの8月の終わりでした。

熱でうなされることは辛いですが、ちゃんと休めといわれているのだと、最近は休息の機会と捉えて、無理せず焦らずただ治すことにしています。


頭や心が複雑になりすぎてしまうと、色んなバランスが崩れてしまいますが、そんな時はやはり、無心で身体を動かすと、とても気持ちがいいものです。

先日軽井沢でのワークショップでは、参加者の皆さんが、休憩もまともにせず、初めてのことにただ一生懸命になる姿勢、知らなかったことを知る喜びや身体を動かす楽しさを、そのまま受け止めて下さり、私自身が初心にかえれるいい時ともなりました。

そして、とても遠くなってしまった日本のことも、こうしてわずかなきっかけさえあれば、理屈ぬきに心身にひろがる日本の心があることを、ささやかな喜びとも感じます。



同じ頃、天皇皇后両陛下を沿道でお出迎えする機会が何度かありました。
手を振る私たちに両陛下のあたたかな眼差しが向けられ、胸に溢れる思いがこぼれそうになりましたが、と同時に、ご静養とは名ばかりに、その過密な移動の傍らにも我々に向けられるお心に、嬉しくもあり、心苦しい気持ちと相まって、複雑な心中でもありました。




受け継がれていくこと、その重さ、変わっていくことと変わらずにいること、幾時代もが折り重なって、今という時があるのだろうと思います。


ワークショップに参加された方に、私の大師匠であります神崎ひで先生を、昔テレビで拝見されていた方がいらっしゃいました。地唄舞には憧れを抱いてらしたそうです。

舞の名人といえば、京舞の四世井上八千代先生、武原はん先生、そして神崎ひで先生のお三方のお名前が決まってあげられます。ひで先生はお身体も弱く一番早く亡くなられてしまいましたが、八千代先生の芸の道を、遠く私淑しながらも、同じ時代に少しでも垣間見ることができましたのは、宝のようなことでありました。


初舞台 6歳


この同じ舞台の最後には、ひで先生も舞われたそうで、終演後の写真には、最晩年のひで先生の隣に座る幼き日の私が写っています。
(私はご褒美のおもちゃの記憶しかありません…)


母は「夢のようだねぇ、あっという間」といいました。
長い歳月がたちました。


ひで先生の残した灯火が、長い時を超え、ほんのわずかでも私の中に残っているのなら、その小さな灯りを消すことはしたくないーと、ほんのりと思います。



夏が終わり、長引く風邪の名残と、今年になって3匹目の、愛しい猫との辛く切ないお別れが、秋風とともに過ぎ去っていこうとしています。