勝手なおもい


台風が過ぎ、秋の気配が漂います。
お盆の行事が済むと、セミとヒグラシの声が入りまじり、さみしさも訪れます。

毎日あちこちから採れたての野菜をもらい、それを調理してまたあちこち配り、それも少なくなって、夏の終わりを感じます。


初夏から何かとにぎやかな夏でしたが、8月に入ると体調を崩し、だましだまし過ごしていたところ、ある夜ねずみ捕りに全身がかかり、道路に放置された子猫をつれて帰りました。

かけた主は、生きていたのでそのまま外に放ったけれど、死んでくれたらゴミに捨てるところだったと思います。ねずみがそうであるように。
そのまま剥がすと皮ごとむけそうだったので、何とか慎重に時間をかけてとりましたが、その動けず横たわった姿は無惨なものでした。



今ではすっかり元気になり、ベトベトだった毛もフワフワしてきて、おてんば真っ盛りです。

誰かにとって気味の悪いものも、私にとってはまがなしい命です。



この夏瀕死で迷ってきた黒猫も、ガリガリで皮膚病だったのが、今では3倍に太り、猫相が変わるほど元気になりました。
ですが目の前の子が助けられたとしても、傍ら数匹の猫が車にひかれてたと耳に入ったりで、いたちごっこです。
どちらにしても、人間が関わっていることです。

私の人生は、これが日常です。
今まで100匹は出会ってきたと思います。


毎日数えきれないほどの生き物が人知れずどこかで死んでいくわけで、そしてまた保健所では、年間30万頭(一日1000匹近く)もの犬猫がものも言えず殺処分されています。
心ある人たちの活動で、少しずつは減っているようですが、毎日繰り返されている現実です。

華やかなペットブームの影にある世界を、一人でも多くの方に知ってもらえたら、悲しい運命の子が一匹減るのですが、なかなか世の流れはとめられません。
夏になると乳母車に犬を乗せた観光客が押しよせる街に住み、たまに人の子が乗っていて逆に驚いたこともありました。

これから犬や猫を飼いたいと思う方の中で、ペットショップではなく、保健所や里親探しをしている保護団体などからひきとって下さる人が増えれば、救われる命があるので、それが当たり前の世の中がきたら、本当にうれしいことです。

言葉や思いが伝えられないからといって、命のいるいらないを決めることは、私たち人間のずいぶん都合のいい考え方で、その考えは、人の世でもいえる今の世相ですが、生きたい、生きようとする懸命な思いは、万物みな同じなのだと思います。
きれいごとだと言われても。



この子も3年前、車にはねられて動けなくなっていたのを見つけて、連れて帰りました。
やせ細り、足がダメになるのも覚悟でしたが、嘘のように元気になりました。
今では実家の立派な番犬です。


大切なものは、わりとそこら辺に転がっています。


ドキュメンタリー映画
犬と猫と人間と(2009)には、捨てられて殺処分されていく犬猫の姿が真摯に映しだされています。
2の動物たちの大震災(2013)には、震災後の、特に原発事故で残された動物たちの、想像を絶する姿がありのまま映されています。
目をそらしたくなる現実も、本当の姿ですので、私は何でも知らないことを知りたいと思っています。


そして今日も、虫の音に夏の過ぎゆくのを感じながら、猫たちにふりまわされて過ごしています。