緊急手術と入院

 
4月の半ば過ぎ、救急車で運ばれてそのまま緊急手術となり、入院していました。

突然のことで、何がなんだかあれよあれよという間に日常が一変してしまいました。
とはいえ長らく抱えていた病気が悪化してのことで、激しい痛みに動くことも立つこともできず、脂汗がでて顔面蒼白だったようですが、過去にもあったことで、またいらぬ我慢をして乗りきろうとしたのですが、とんでもないことになってしまいました。

丸一日動けずに横になったのち、這うように町のクリニックに連れて行ってもらうと、すぐに総合病院へ移る手続きをされ、人生3度目の救急車に乗ってからはもうどこにいるのかも、何が起こっているのかもわからないうちに、体のあちこちに針や管が刺さり、もはやどこもかしこも痛みだらけで、医師の先生や看護師さんたちの緊迫感溢れるどこかの病室の中、ドラマや映画でよくあるシーンより、遥に迫力と緊張感を感じながら(あたり前だ)、なすすべもなくそこにいたのでした。

そして、点滴をして横になりながら、割と冷静にいくつかの予定のキャンセルの連絡をし、ガラガラとまた動く天井を見ながらあの宇宙のような手術室らしき所に着くと、天井だった景色に次々と何人もの執刀医の先生やら麻酔技師の先生やらの顔が現れ、「頑張りましょうね」と挨拶と声をかけられ、それからはもう手術台の上でまな板の上の鯉でした。

全身麻酔だったので、「少し苦しくなりますよ、はい1、2、3」と言われた瞬間息がつまり、そして記憶が消えたのでした。


次の瞬間目が覚めてからは、歯がガチガチと音がするほど震えて寒気が止まらず、再び緊迫感溢れたまままたどこかに運ばれて、そこから長く苦しい一晩が始まりました。
予定よりずっと長い、4時間近くの手術だったそうです。

それからは、想像を絶するほどの痛みと苦しみにもがき、公私共にあらゆる苦行を乗り越えてきたつもりでしたけど、なるほどまだまだ味わったことのない苦しみがあるものだと、頭にはなぜが地獄絵図がぐるぐる浮かぶほどの悶絶でした。

喉がカラカラに乾いても水も飲めず、体中が管という管だらけで、足には血栓防止のぎゅうぎゅう締め付ける機械がつけられて、手の先くらいしか自由に動かせず、あまりの苦しさに酸素マスクを時折外してはまた戻しを繰り返し、点滴に痛み止めと睡眠薬が入っても、全く眠れず長く遠い朝を待つしかありませんでした。
一晩中ひっきりなしに看護師さんが出入りする中、私、大丈夫なのか…?と朦朧とする意識も遠く…


そして長い夜が明け、朝初めて水を口にした時の有り難さは、忘れ難いものでした。

それからはもう、昨日までと変わり果てた姿で、少しずつ起きあがることと、点滴台を杖にして歩くリハビリ、重湯から五分粥へと口から食べ物を頂ける喜び、寝返り一つうてない体のもどかしさ、我に返っての不安、箸もないところからの入院生活が始まりました。

元々体が丈夫ではなく、体調が悪いことも日常的だったので、そんな中での舞台も稽古も生活も送っていたのですが、さすがにここまで何もできない体になるとは思いもしなかったので、本当に様々なことを思い知りながらの毎日でした。

何でもなくあたり前のことがあたり前にできることは、ずいぶんと奇跡的なのだということも、頭ではわかっていたつもりでも、身をもって感じ、それでも自分はいつかは元に戻ることができるはずだけれど、不自由な体で懸命に生活している人達や、ずっと病室の中で暮らしている人達のことを考えたりしながら、誰だって風を感じたいだろうなぁと、ツバメが巣をつくりにやってくる場所を見つけ、そこから窓の外を眺めていました。


体も弱く、まぬけな性格が相まって、年中怪我ばかりもしてきたのですが、入院生活は初めてで、動けない体で思いもよらぬことばかりが起こりましたが、看護師さんにも本当によくして頂いて、ふだん世話はするのが常だと思っていた私が、人に沢山お世話をして頂き、感謝で一杯でありました。

退院なんて、できるのかどうなのかという弱りっぷりだったのが、ついにその日がきて、入院中もはや体の一部と化していた点滴が腕から抜かれ、杖代わりにしていた点滴台がなくなって、自分の足だけで立って歩いた時は、おぼつかないながら不思議な感覚と嬉しさで、よぼよぼ歩きで病室を去る時には、一抹の寂しさと、先生に助けて頂けたこと、お世話頂いた看護師さん達とのお別れに、涙もでてしまったのでした。


あの救急車で運ばれた時から、初めて吸う外の空気と、辺りの新緑が瑞々しく輝いて、なんだか浦島太郎のような気持ちで家路に着きました。

猫達と犬が待っていて、それからまた自宅療養の日々となりました。



f:id:Naomai:20180930215529j:plain