徒然

前回の日記からもう7ヶ月が経ちました。
相も変わらず様々なことが起き、あっという間に時が過ぎて今日になります。

世の中も様変わりし、私自身もまわりもコロナ禍が直撃しましたが、先のことを考えても仕方がないので、日々淡々とやれることをやり、3月頭の上映会以来、全く着物を着ない生活を送りながら、その一方ではバタバタした日常でもありました。

最後のシメは老犬の突然の病気で、ある朝突然足元がおぼつかなくなり倒れ込み、目がぐるぐる回り、吐いてゆらゆら頭を揺らし、驚いて看病と通院がはじまりましたが、途中起きあがることもできず寝たきりとなり、飲まず食わず…
脳腫瘍などの疑いもでてきて、半分は覚悟のもと、けれど諦めず必死に看病を続けると、ようやく私の手のひらから自分でご飯を食べられるようになり、発病から1ヶ月が経ち、嘘のように蘇りました。
数えきれないほどの動物の看病をしてきましたが、奇跡のように回復する姿は数少なく、冥利に尽きる思いです。

犬のウリは7年前に車に跳ねられて、真夏の猛暑の中倒れていたところを連れて帰り、やはりその時も1週間は寝ずの看病となりました。
足をやられ、放浪の末肉球が剥けて血が出ていて、子供を生んだ後らしいお乳に蟻がたかっていた。
三本足になる覚悟もしていたのが、その時も奇跡的に元気になり、ガリガリだった身体がみるみるふくよかなゴマ柴犬となったのです。

あの夏の日に死んだはずの犬だったけれど、今回再び元気を取り戻し、とても強い子なのだと感心しました。


あれこれと犬や猫や人の世話をしているうちに、家での生活は過ぎていき、ほとんど自分の時間はとれなかったので、少しぼんやりしたいと思いながら窓の外を眺めていました。


昔からよく道を聞かれたり、知らない人に話しかけられたりするのですが、何時だったか、自転車で今宵の寝場所を探すホームレスのおじさんに道を聞かれたことを、突如思いだした。
しばらく話してしのげそうな公園への道を案内し、その後別れてから雨が降りそうだったので、ちゃんと辿り着けただろうか…と心配になった。
何年も前の忘れていた些細なことなのに、なぜかふと思いだした。
あの人はどうしたろうか、まだ生きているだろうかと切なくなった。

でも、おじさんの自転車の荷台には、保護した二匹のちゃんと避妊してあるメス猫が一緒に乗っていて、その子達を抱いて寝ているんだと言っていた。
おじさんの生活の中には、暖かな存在と暖かな時間がちゃんとあったはずだと思うと、それは私のそれときっと同じなのだろうと思い、またぼんやりと窓の外を見ていた。


このところ、ある人間模様が重なり、幸せについて珍しく考えた。


もしも誰かに、「あなたを幸せにします」などと言われたら、「いえ、結構です」と言ってしまいそうな、とんでもなく可愛げのない女なので、私には誰かに幸せをもたらしてもらおうなどという願望もなく、それは決して他者の思いを無下にするということではなく、
幸せとは、やはり自分で生み感じるものであり、たとえどんな泥水の中でもがき苦しんでいたとしても、そこにはいつか蓮の花が咲くことを知っているということなのだと、私は思っている。

人それぞれの小さな幸福は、決して他の誰かには決められない。
そのことを身をもって感じられる日々でした。




突然前庭疾患となったウリ。
もうダメかと思うほどひどかったのが、少しずつ外にも出られるようになり、



心配だった首の傾きも、元気になれば可愛い後遺症とも思えるし、何でもいいもんです。




この半年はまったく人に懐かない二匹の猫が新入りし、更に現在また子猫二匹を新たに保護したので、この二匹は必ずや里親を探します。

一生続くであろう犬と猫と人との生活ですが、
まぁそんなに悪くはないようです。