秋の夜長
急に寒くなりました。
少し前のまだ暖かさが残る頃、雪虫がふわふわ舞っていたので、もう冬が近いのかと半信半疑で見つめていましたが、しばらくすると突然冷え込み、いくら科学が発達しても、生き物の勘には驚かされます。
秋なので夜が長く、先日の十三夜も美しかったけれど、満月の前後の月が神々しい夜には、夕食の片付けがすんだら電気をすべて消して、月灯りで過ごすことがしばしばあります。
月の明るさに目が慣れてきて、野生の感覚がめばえ、そして妙に落ち着きます。
ストーブの炎や月の光は、ただぼんやり見ているだけで時間が過ぎてしまいます。
薪割りは危なっかしいのでやりませんが、ノコギリでせっせと集めた木を切って、冬支度に備えています。
今年は扇を持つより鎌や熊手やスコップを持つ方が多かった…
これからは草木も冬眠にはいるので、草ボーボーだった季節が終わったのは、少し安心です。
草刈りが苦手なのです。
雑草として当たり前のように草刈り機で刈られてしまうような草花も、時期がくると必ずかわいらしい花が咲き、そしてそこに多様な虫たちが集ってくるので、それを見ていると鎌を持つ手が全くすすみません。
なので役目を終えて枯れたものだけを最低限刈ることにしています。
そのルールにしたら、気持ちが落ち着きました。
都会からの移住者で、蟻が一匹家に入ってきたと、建築家を呼び出した人がいると聞きました。
そんな人は、地球から出ていったらいいと思われます。
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小枝が動いていたのでよく見ると虫でした。
(真ん中2本のうち左)
自然の知恵は計り知れないものです。
猫の子供達も、寒さから暴れっぷりの本能が少し落ち着いてきて、今年は網戸計8枚を突き破り、3度の行方不明に心を折られ、毎日何かしら欠かさずやらかしていたオス猫も、先日続けざまに蜂に刺されて大騒ぎしたのを最後に、暖かいものにくるまって寝る時間が増えてきました。
こうして季節と共に、動植物にも静けさが訪れて少し寂しいですが、秋の夜の物悲しさもまた良き時間に思います。
山の月冴えて落ち葉の匂いかな
芥川龍之介
白露
9月となり、もう白露。
草花に露がおりる頃。
今年に入り、何をしていたのかすぐに思い出せないほどの日々のままに、終わりも近づいてゆく。
予定していた今年の公演もなくなりました。
今頃は猛烈な毎日を送っていたはずが、急にぽっかりしてしまい、ひたすら山ごもり。
ひどい時は何日も人と話さず、猫はもちろん、虫や花に話しかけているのが常になっています。
あげく長雨が続き、今日は9月に入りようやく青空が顔をだしましたが、朝はもう9℃。
まさに白露となりました。
山の中にいるので下界より秋の訪れも早く、秋草もとおに咲いていて、萩や葛の花はもう終わりを迎えています。
お天気でしたので、久しぶりに町の方に降りて少し散歩し、数少ない心落ち着く場所へ。
室生犀星庵も静かに初秋を迎えていました。
その向かいで一時間ほどお茶をして、何冊か詰めた本の中に犀星のものがあったので、せっくなのでそれにした。
犀星の家の向かいで犀星を読む。
大変贅沢な時間です。
どうにも私にはせいぜい明治、大正、昭和くらいの匂いがしっくりくる。
現代に生きている気がしない。
どうしたものか。
「菊の露」という演目があります。
小曲で、小菊の露と自分の涙とを重ねて唄った曲で、何年か前に久しぶりに舞った時、その曲の歌詞に友人がたいそう心うたれていた。
日本人は素晴らしいと言っていた。
葛の花
さて日本人として何ができるのか。
こうしてはいられません。
季節の帯
3日の会の折にしめた帯。
右が「黒髪」にしめた唐織の秋草。
左が「猩々」でしめた葡萄唐草です。
幕間に少しお話しもしましたが、会場がホールではなく、自然の中での会でしたので、秋のものを身につけました。
唐織とは、能の装束などに用いられる伝統的な織方で、どっしりと量感があります。
この唐織の帯、なんと七五三の時にしめたものなのです。
七つの女の子が身につけたものを、今もこの先も身につけられるなどということは、洋服では考えられません。(母の趣味を当時は恨みましたが…)
その季節だけしかしめられないということ、でもいつまでも長くつかえるということ、日本ならではだなぁと思います。
あと二日もすれば小雪となり、冬へと近づく候のはずですが、季節はずれのあたたかさに、少し、いえだいぶ不安を覚えます。
先日の会で、地唄の富田清邦先生にいただいたお花。
家の周りの木々はほとんど落ちて、枯れ木にリスの姿をよく目にするようになりました。
美しい季節の移ろいが年毎に失われている昨今ですが、ささやかな自然の変化に寄り添って過ごしたいと思います。
会が終わりました
先週、栗田美術館での地唄舞を楽しむ会を無事終えました。
朝まで降っていた雨も止み、さわやかな秋晴れとなり、とてもいい会となりました。
小さな座敷での空間に、限られた人数のお客さまと同じ目線の中演じる難しさと緊張感。
大きな舞台が続いていましたので、久しぶりの心持ちでした。
菊森さんの三絃と唄と共に、皆さまとのひとときが送れたこと、とても楽しかったです。
準備も終えてからもバタバタ続きでしたので、ようやく落ち着きを取り戻してきました。
お越し下さった皆さま、本当にありがとうございました。
この会も始めてからもうすぐ10年となります。すべてが手作りの会のゆえ、周りの皆さんそれぞれに助けてもらいながら続けてきました。
人に恵まれたことだけが、私の宝です。
(あと動物たち)
本番前の稽古の様子。
現在、日本の文化、芸術は(音も立てず)崩れるように失われています。
ただコツコツと続けていくのみで精一杯ですが、どうかこの日本のよき文化が、少しでも残っていきますように…
頑張ります。
再開、再会
昨日は音合わせがありました。
会の準備も稽古も家に籠もっての日々でしたので、着物を着て人前にでるのも久しぶりのことでした。
病気術後でも、わりと早く稽古で復帰しましたので、人生で一番長く活動が止まっていたのかもしれません。
地方をしていただく菊森さんとも1年ぶりに再会しまして、生の三味線の音を聴くのも1年ぶり。
その懐かしく心地いい響きの中舞うと、大量の汗をかきました。
あぁこれなのだと思いました。
会まであと少し。
お客さまにお会いできることが楽しみです。
地唄舞を楽しむ会
10月になりました。
しばらく人前に立つことのない日々でしたが、来る11月3日(火・祝)に、足利栗田美術館にて小さな会を開く運びとなりました。
昨年より予定していましたが、開けるか否かの中、準備をしておりました。
地元での会は4年ぶりとなります。
素晴らしい栗田美術館の庭を背に、座敷でのささやかな会となります。
少人数での会ですので、安心してご来場いただけるよう、配慮しながらと思っております。
今回は、昨年の夏の軽井沢公演で、お琴と三絃にて富田先生と共に地方(じかた)をつとめて下さいました、菊森美穂さんに唄と三絃を演奏していただきます。
何かと閉塞感の漂う昨今ですが、秋のひとときを、三絃の音色と舞で、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
地唄舞を楽しむ会
舞 俵菜緒 / 唄・三絃 菊森美穂
令和2年11月3日(火・祝) 午後3時開演
於 足利栗田美術館(山荘)
チケット ¥5000(税込)
問い合わせ 0284-41-2776
無言館
長いこと行こう思いながらも、機会を逃していた場所に、先月ついに足を運んだ。
信州上田にある戦没画学生たちの絵が集められた、
「無言館」
ほとんど勇気を振りしぼって足を踏み入れた。
案の定、もしそこに自分一人だけだったら、きっと嗚咽していただろう。
一人ひとりの確かにそこに息づいていた魂が、筆の奥から飛びこんでくる。
情熱迸る絵、静かでやわらな絵、皆様々で、その人の人柄さえ伺え、将来一流の画家になったかもしれないと思わせる作品もあり、会うはずもない先人であり、今の私よりずっと若い青年たちの尊い命に出会い、美術館を出る頃には入った時とは違う気持ちになっていた。
話は飛んで、宮崎駿監督の数多の名作の中でも、
「風立ちぬ」は理屈ぬきに美しく、一番好きな作品でもあり、なぜあれほど胸に残っているのか言葉にはできないけれど、懸命に生きた人たちがいたということに尽きるのではないかと思う。
その時代を経て、今の私たちがある。
コロナ自粛中、妻を亡くしたばかりのある人が、一人ではいられないことを理由に母に頼み込み、毎晩うちで夕飯を食べるようになった。
昼は近所の人が毎日作りに来て、共に食べてくれたようで、更にまわりの人たちが日々かわるがわる訪ねて、心配してくれた様子だった。
それまで生まれてからずっと、挫折一つなく順風満帆。
終戦の年に生まれて、大学時代から外車に乗り、結婚後は二人の生活を楽しむために子供もつくらず、夢のような小さな白い家に住み、世界中を旅し、山に登り、夫婦で遊び尽くしてきた人だった。
70半ばになるまでただの一度も苦悩も苦労もない人を知り、驚いたと同時に、若いうちの苦労は買ってでもしろという昔の人の言葉は本当だと、売るほどしてきた私は心から納得した。
移動規制もあり、実家にとどまっていたので、私もほぼ毎日食事の用意を手伝い、一緒に過ごす時間が多かった。
できるだけかなしみに寄りそい、励ましてきた。
それでも、妻一神教であったその人は、「あと10年楽しみたかった…」と言うばかりだった。
老犬の看病で更に移動時期がのびた私は、他にもやらなくちゃいけないことのある中、まだ現役で仕事をしながらも、年中人や動物の面倒をみている年老いてきた母を心配しながらも、犬の病状が回復してきたのを機に、実家をあとにした。
無言館の館主の窪島誠一郎さんのあいさつの中に
「戦後70年を過ぎ、私たちは繁栄という豊かさに慣れきった生活の中で暮らしています―」とあった。
私は心の底から頷いた。
この無言館を訪ねた10日近く前、やもめのおじさんは、自ら命を絶った。
生きたくても生きられなかった人や時代がついこの間まであったのち、何不自由なく楽しみ尽くしてきた人生を、それが奪われたというだけの理由で、自ら終わらせる人がいることに、生命をはき違えた現代という病を全身で感じた。
あの山の白い家は、甘くてもろい、お菓子の家だった。
生きて、ただ絵が書きたくて、激しい飢餓と死の恐怖の中消えていった、若き画学生たちの無数の無言の言葉。
この対照的な死に、私の心にははっきりと宿るものがあった。
それを胸にしまい、これからも生きてゆく。
生きねばと思う。