彼岸過ぎまで

久しぶりの晴れ間に、少しほっとしたけれど、また雨がふりだした。雨ばかりのお彼岸だった。

そういえば漱石の「彼岸過迄」は読んでいないことに気づく。


盆と彼岸にはおはぎを作る。
春の彼岸は、牡丹→ぼた(ん)もち。
秋の彼岸は、萩→おはぎ。


同じ食べ物でも季節に合わせて呼び名を変えるのが、いかにも日本らしいなぁと思います。


ねずみ捕りにかかって我が家にきた、子猫のはっちゃんは、
この間の十五夜の夜、月に帰った。
新しい家族のもとに嫁いでいった。

何度も経験し、覚悟はしていたものの、
大変な時を過ごし、元気になって、可愛さと愛しさがあふれた毎日になった頃、離れなくてはならないことは心底辛い。


友人宅で夜更けまでみんなで楽しい時間を送ったり、嬉しい再会があったり、やるべきことにバタバタ追われたりして、元気に過ごしてはみるものの、
何気ない日常の中で、ふとあそこにもここにも景色の中にいたものがいなく、身体に纏わりつく感触が消えるまで、心に秋風が吹き、涙がでそうになることもあった。
情けないものだ。

辛いことがあっても、子猫がそこにいるだけで、笑顔になる。
結局いつも、助けているようで、助けられているのは私の方なのだ。



 
私を母親と思い、何をするにもくっついてきて、好奇心旺盛で暴れんぼうだった。

肌寒くなり、布団に何匹もの猫が乗り、うなりながら目覚めると、小さなはっちゃんの姿はなく、雄猫タラの巨大な顔があり、現実を思い知る。
そうだ、私にはたくさんのこの子たちの世話があるのだからと言い聞かせる。
そしてこれからもまた、色んな子に出会っていくのだから。


こんなこともありました。
5月にとても久しぶりに友達の所に行った折、夕暮れ時にふと何の気なしに一人でふらっとその場をでて行き、目に入ったよくお参りにきていた神社の方にふらふらと入って行った。
寒くてひと気のない社に近づくと、暗がりに人の足が見えた。倒れていた。
何事かわからなかったが、冷静に近づいてみると、少し動いたので声をかけて、すぐ救急車を呼び、おじいさんらしき人は運ばれて行った。


夏になると、そのおじいさんから電話があった。無事回復したあと私のことを町中探しに探して、ついに友人までゆきついたそうで、びっくりした。
先日、たまたまのような形で、その神社でおじいさんとお会いした。元気になられて本当によかったです。

生きていくことは、すべては小さな偶然のくり返しなのだろう。


夜が長くなってきたのを感じます。
秋に備えて力をたくわえなくては…と思いながらも、つい夜更かしが続く長月です。